もし、テポドンが発射されて自分の世界の終わりまで残り5分だとしたら・・・。
はい、みなさんどーもこんばんは。仕事しながらでもずっとYouTubeを流しています。生粋のYouTuber buffaroです。
今日は、ちょっと前からYouTubeの広告で見るようになった「核攻撃サバイバー」という歌を聴いて僕が考えさせられたことをずらずらと書いていこうと思います。まぁ、つまりは「もし自分の命の終わりがわかったら何をしたい?」って話。
僕が今回本当に思ったのは、人間の命は限りあるものだから夢物語の話じゃなくて、一度は本気で死ぬことについて考えてみようよってこと。もしかしたら明日には自分が死ぬかもしれない。明日には家族の誰かが死んでしまうかもしれない。人間にとって「死」ってもっと身近なものだと思うよ。
本日のお品書き
まずは衝撃的歌をYouTubeでどうぞ
コレが僕が見た広告動画です。広告では音楽の途中から再生されているので、いきなり「テポドン」ってワードから始まるので、もっと衝撃的な印象を受けました。
ちょっと気になって動画で歌詞を確認してみると、要は核弾頭が発射されたときに助かる方法を過去の事実から歌にしたって感じです。
この動画や歌詞については、ちょっと調べたときに出てきた【GEEK – KAZU】さんのブログをチェックしてみてください。
僕が語りたいのは「死ぬ前に何をやるか」って事
この動画(歌)についてはどうしても賛否両論あるようなので、僕が歌の感想を言う必要もないと思うけど。
僕が思ったのはこの動画や歌が何を伝えたいのかってことよりも、実際にテポドン等の核弾頭が日本に向けてうたれた時。もしくは自分の死期がわかってしまったときに、人間はどのように行動するのか。自分は何をしたいのかってことをもっと普段から考えとく必要があるのかなって思いました。
一般的な死ぬ前にやりたいこと
たぶん、「死ぬ前にやりたいこと」とか「死ぬ前に行きたいところ」ってのは人間の永遠のテーマだと思う。テレビなどのメディアでも昔からこの手の話はよく企画にされている。
NAVERまとめとかでも100のリストとかでまとめられているので、どんなことがリストアップされているのかはGoogle検索で「死ぬ前にやりたいこと」って検索してみて。
Twitterで検索してみた
もちろんTweetするくらいだから、基本的に命に別状はない状態で書いている事だと思うからあまり参考にならないと思うけど、「死ぬ前に」ってワードでTwitter検索してみるとこんな感じ。
死ぬ前に一回でいいから生で祖国の夢旅路 聴きたいです(;▽;)
— りん@低浮上かも (@h_tra_kfr) 2017年5月21日
死ぬ前に1回は行こ https://t.co/LTSi8xcLHw
— 西嶋 雄伸 (@yusinisy617) 2017年5月21日
死ぬ前に一度でいいからイケメンに抱かれてから死にたいよね。
— あらさん゚ (@sz_eg522) 2017年5月21日
まぁ、もちろんこんな感じで「死ぬ前」=「いつか」って感じなのかな?
もしテポドンが発射されたとしたら?
さぁ、ここからが本題ですが、もしテポドンが日本に向けて発射されたとしたらあなたは最期の5分間で何をしますか?
もしテポドンが発射されたとしたら、僕は何を考え、何をするのだろう。
やっぱりありきたりだけど好きな人に電話するとかなのかな?https://t.co/qsPwY8YtrR#核攻撃サバイバー
— Buffaro@へっぽこglory (@buffaro_3254) 2017年5月21日
やっぱり一番ありきたりなのが「好きな人に会う」とか「家族に電話する」とかなのかな?
僕が本気で考えてみた結果は、「その時にならないとわからない」でした。笑
もしかしたら、そのときには好きな人って居ないのかもしれないし、すでに好きな人と一緒に居るのかもしれない。だから、結局のところどういう状況で自分の死を覚悟したかによって「死ぬ前にやりたいこと」は変わると思う。
ただ、今回の例のように「もしもテポドンが発射されたとしえ、残りの5分で何をする?」という状況だとしたら僕は間違いなく「誰かに電話をする」って選択肢を選ぶと思う。
最期の最期まで自分らしく居たい
僕がどういう人間?性格?なのかってのはBUFFARO黒歴史ってカテゴリで語っているので、そちらをどーぞ。
んで、僕は大体の場合自分のことよりも他人のことを考える傾向にある。だから、この「核攻撃サバイバー」の歌詞を読んだときにも、もし東京でみんなが地下鉄に走りこんだらって事を考えた。恐らくは助かるであろう人も、助からないって状況が生まれると思う。
都心部であれば5分あれば地下鉄に入ることはほとんどの場所で可能だと思う。ただ、地上に居る人すべてが5分以内に地下に入ることは無理だろう。エレベータの制限があったり、物理的に出入り口のスペース問題もある。
だから、全員が助かることはまず不可能だろう。だから僕は地下室に向かうことなく、地上で自分の最期を好きな人・大切な人に伝える努力をすると思う。実際にはそんな状況になったら電話が通じるかもわからないけどね。笑
いろんな「もしも」を考えておこう
たとえば、核弾頭はテポドンだけではない。日本が戦争になるとしたら、相手は北朝鮮だけではない。
たとえば、自分の命の最期がわかるのは殺されるときだけではない。もしかしたら病気で余命宣告されるかもしれない。
たとえば、自分の家族が明日も存在するとは限らない。家族が離れ離れで生活しなくてはならないこともあるかもしれない。
考え出したらキリがないから、そんなことは考えずに楽しく過ごそうって考えの人もたくさん居ると思う。ただ、本当の意味で考えずに楽しく生きるって言うのは、一度考えた上で、今のままじゃ絶対にそのときに後悔するから、後悔のないように全力で生きようってことだと思う。
まとめ
どんなことがあっても絶対に後悔のないように生きることって言うのは不可能だけど、すくなくとも過去の経験から学んだことで後悔するのは嫌だ。
もっと言うなら日常生活で考える機会があったのに、それについて考えずに後悔することも嫌だ。
人間は考えることができる、イメージすることができる生き物なんだからもっともっと深く考えて生活していきたいなって思います。